「水処理の知恵を出すのが私達の仕事」
いつも水や土と格闘しているセイスイ工業社員。その毎日を現場の厳しさそのままのハードボイルドタッチでまとめました。この記事は外部取材チームが現場担当者に取材して作成したものです。ぜひご一読ください!
マグボトルの中身はすでにぬるかった。中身は牛乳を混ぜた無糖のコーヒー。すぐに冷めるのはパッキンが交換時期なのだろう。飲料が漏れないよう蓋をしっかり閉めてバッグに入れて、仕事にかかる。
足元ではコーヒーと似た色の汚泥が床を覆っていた。ある水力発電所の内外に沈積する汚泥水である。2011年7月末の豪雨で河川が氾濫し、そのあおりで発電所の水車も発電機も水没。備蓄していた潤滑油など油が流出して水と混ざり、“含油排水”として溜まっているという。その汚泥水の処理依頼の連絡である。現地の状況は深刻だった。
「ざっと10,000㎥はある……」
25mプールで20杯分以上だ。発電所では場内処理はできず、油分があるのでそのまま放流もできない。山奥の発電所なのでバキューム処理は困難だ。するとしてもバキュームカーを何往復すればいいのだろうか?発電所の職員に私は速算して答えた。
「バキューム処理では3億ほどかかるでしょう」
1㎥当たり3万円の運搬・処理費用として3億円。我々なら半分以下にできると、職員に提案した。
近年、大型台風の襲来で洪水や浸水などの水害が発生し、発電所が損害を被るケースが激増している。取水と排水の基本機能が損なわれ、発電所内では機器の油と保管油が排水と混ざって含油汚泥となり、河川への放流が不能となる。この状態が続くと水の富栄養化(プランクトン発生等)や地下水の汚染も起きる。こうした事態を避けるべく、含油排水を徹底的に処理するプロフェッショナルとして我々は日本各地に赴く。
豪雨発生から1ヶ月後でも、発電所の水路にはまだ流木で自然ダムがあった。発電ダム内は壁も階段も泥色である。停止した発電機を見ると「東京芝浦電気製造」と刻印されていた。電力会社の社員が言った。
「ここは白洲次郎の時代の発電所なんです」
英国帰りの国際派で鳴らした白洲次郎が、電源開発事業に携わった発電所だという。1950年代後半から60年代前半、白洲はランドローバーを自ら運転し、颯爽と山間を見回ってダム建設現場に檄を飛ばした。私は在りし日を想像しながら、汚泥調査を始めた。ビーカーですくった水を、曇り空を背景にかかげて、浮上物質や沈殿物質の具合を観察した。
「水処理の方法は水が語る」
現場の水の濁り・濃さ・匂いの分析をする。汚水臭があるのは汚濁物質の分解が進んでいる証拠だ。溜まりと上澄みの分離から、沈殿はしやすい水に見えた。汚泥濃度測定装置にかけると、目視観察が証明された。
「固形物濃度は2,000mg/ℓと低い。脱水すれば100分の1以下になる」
提案は、原水は固形物と処理水に油水分離し、固形物は産廃処理、処理水は河川放流をする。それをコンパクトな「仮設脱水・減容化処理プラント」をレンタル設置して実施。費用は3億円の2割、6000万円と見積もった。契約が交わされ、レンタル設備の搬入が始まった。タンク、遠心分離機、薬注設備、攪拌機、ポンプやホース類が運びこまれ、狭い所内に効率的に配置した。
一次処理の開始だ。ポンプで反応槽タンクに含油排水を導水する。攪拌機で回しながら凝集剤を添えて反応させる。凝集された汚泥を沈殿槽に移し、上水は処理水槽へ移す。感心して見ている職員に私は原水汚染のレクチャーをした。
「全国1900カ所の水力発電所には今回と同じリスクがあります」
発電所だけではない。下水処理場では重金属や油、強烈な“し尿”も流出する。工場では油や重金属、病院や研究施設では微生物やウイルスの流出も問題になる。浄水場では水道水汚染が発生し、津波をかぶると塩水による被害も出る。北海道から沖縄まで水の量的・質的な危機が起こりうる。我々は資機材をただレンタルするのではない。 「水処理の知恵を出すのが私達の仕事です」
少々はにかんでそういう。工程は二次処理へ。汚泥を遠心脱水機にかけて、脱水ケーキと水に分離させる。含水率70%の固体は、まるでドリップ後のコーヒー粉のようだ。処理水は不純物の少ない水になり河川に放流できた。周辺の被災施設の先頭を切って当発電所が復旧できたが、処理を見守って長い時間を過ごした。プラントの脇で冷たい弁当も食べた。食後、パイプ椅子に座っていると、処理場に入ってくる人がいた。私は叫んだ。
「おい、入ってくるな!危険だ!」
その人は長身痩躯で銀髪、長靴を履いていた。そして言った。
「お前こそ、ここで何をしている!」
「私はプラントを見守っているんだ……」
そこで目が覚めた。うとうとして夢をみたのか。目を擦ると誰もいなかった。だがあれはどう見ても白洲次郎だ。そういえば、ある建築現場を早朝に見回った白洲が、コンクリを打設した床を乾かすために寝ずの晩をしていた建設会社の社員を「何をしている!」と一喝したという逸話があった。理由を聞いた白洲は、その献身的な努力を称え、終生その社員を可愛がったという。
知恵さえ出せば、顧客は可愛がってくれる。私たちはその喜びのために今日も水処理の知恵をプラントに変えて、全国の現場にいる。
参考文献「風の男 白洲次郎」青柳恵介著 新潮文庫
最後までお読みいただきありがとうございました。水と戦うセイスイ工業の技術員の日々、いかがでしたでしょうか。おもしろい!カッコつけすぎ!現実と違うだろう!などご意見ございましたらぜひ教えてください。
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