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「温度差を埋めるもの」

いつも水や泥と格闘しているセイスイ工業社員。実際の事例を基に、ドラマパートに一部フィクションを加え、楽しく読めるハードボイルド・タッチでまとめました。この記事は外部取材チームが現場担当者に取材して作成したものです。

今回のテーマは「温度差を埋めるもの」です。

2011年3月11日・大震災の日

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2021年春のある日、数日ぶりに現場から帰宅した私は、ただいまもそこそこに、妻の質問とも独り言ともつかない言葉に反応して言った。

「忘れちゃいないさ」

私は風呂場に直行して、仕事場の汚れをシャワーで落とした。実に温かい。石けんを泡立てると、風呂場の角においた2リットルのペットボトルの中に水を入れて、背中を流した。実に冷たい。あの日々から10年。風呂から出て冷蔵庫から缶ビールを取った。冷たくて旨いビールを傾けながら、私はだれに言うのでもなく、言葉を吐いた。

「そう、忘れるものか」

2011年3月11日午後、私は作業用物品の買い物のため千葉のホームセンターにいた。カートを押してレジに向かう時、強い揺れがきた。棚からオイル缶が崩れ、ペンキ缶が飛んだ。倒れた棚で通路が塞がれた。揺れはどうやら収まったが、レジが止まって精算ができないという。会社に戻ると工場の出入口のアスファルトが盛り上がっていた。液状化だ。ハンマーで叩いて中に入った。

「これは尋常ではないな・・・」

仙台の下水処理場での過酷な日々の始まり

尋常ではなかった。津波が引くと東北の太平洋側は壊滅状態となっていた。すぐに駆けつけたかったがこのような時には順番がある。まずは飲料水や食糧の搬入が最優先だ。続いて、ライフラインの応急処置、そして道路の復旧まで段階が進んだ4月中旬、我々セイスイ工業は、ようやく仙台の下水浄化センターに向かった。水没した浄化センターは機械設備も電気設備も全面的に使用不能。だが幸いなことには、市内の下水道管には大きな被害がなく、勾配のついた管で施設まで汚水が流れてきた。だが処理ができず溢れた。震災後1週間は、施設の沈殿池から下水をただ海へ放流し、その後消毒剤を投入しだしたが、大腸菌レベルもBODも極めて高かった。

「固形物をとって水を殺菌し、海へ放流するのが我々の役割だ」

固形物とは排泄物や髪の毛などだ。さらには瓦礫や、ほかにどんなものが流れてくるのかわからなかった。だがちゅうちょする猶予はない。我々は4月18日から仮設の脱水機を設置し、その後1年半に及んだ汚水処理作業を開始した。

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水処理・水処理・ひたすら水処理

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プラントメーカーら現場には様々な会社が入っていたが、水処理の知見でセイスイ工業に勝るところはない。搬入したポンプで揚水し、ふるいをかけ、水と固形物を分離し、微粒子を水処理する。各地の会社から来たバキュームカーが、汚水を抜いては処理槽に入れる。瓦礫やガラス片など気の抜けない混入物も多く、非常に危険だ。

「始めの2ヶ月は車中泊で、風呂にもゆけなかったな・・・」

スーパー銭湯も被災、自衛隊風呂は市民優先。3日に一度も風呂に入れず、汚物にまみれた作業の後に毎日ペットボトルに水を入れて頭からかぶった。お湯上りならぬ水上がりには、被災したどこかの飲料工場から漂流してきたビール缶で乾杯した。ぬるいビールだった。風呂無しや過酷な作業も平気だが、反復作業はつらかった。

他社ではできない創意ある水処理に活路を見出すのがセイスイ工業の特徴だ。だがこの現場ではひたすら分別して、処理して流す。その繰り返しだった。それも2カ所の浄化センターを請け負ったので、仙台市の半分以上という膨大な規模である。必要なのは技術と、ひたすら根気。

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仙台の真冬の海の味

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「温度差もあったな・・・」

我々が千葉から現地へ行く時、作業所にアンパンを差し入れた。現場所長はとても喜んでくれた。お返しにお菓子までくれた。被災地に配布されたものだった。複雑な感じがした。我々は車で3時間も走ればコンビニで何でも買える都会から来たのだ。支援に来るボランティアにだって、家に戻れば快適な暮らしがあるように。

個人的なことでもギャップを感じた。私はあの年の3月26日、大安に結婚式を挙げた。妻になる人は「こんな時にいいのかしら」と言い、私は「こんな時だからこそ」と言った。ハネムーンは6月、仙台からニューカレドニアの美しい海へ。帰国後はまた仙台の海へ。

「まさに天国から地獄だった・・・」

その年の年末、冬の海で汚れた体を洗ってから、車で帰京した。水浴びで冷えた腕でハンドルをぎこちなく握った。走り出すと道の駅が見えた。「漁師のおにぎり」の文字のノボリが寒風にはためいていた。中に入ると、被災した漁師たちが、おにぎりを売っていた。漁師たちは、こんなことぐらいしかできないが、と言いながら毎日握っているというのだ。私はウニとアワビを求めた。磯の香りがした。しょっぱさは私の落とした涙味だろうか。私は考えを改めた。

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「仙台の海は地獄ではない。不屈の海だ。温かい感謝の海だ」

仙台の海には世界のどこよりも力強い流れがあった。温度差を埋めるものは、小さな復興の積み重ねなのだ。生命への感謝なのだ。分別処理した水が流れていく海は美しくなるのだ。これからももしも災害があれば必ず支援に行こう。

と、10年前の回想にふけりながら、私はビールを飲んだ。すると妻が皿を持ってきた。皿の上には2つのおにぎりがあった。

「あなたはビールを飲むと、よくおにぎりの話をするから」

妻のおにぎりはほのかに温かった。温度差を埋めるものは、人の体験を想像する思いやりなのである。これからも被災地のことを思い出していかねばならない。そしてもちろん、結婚10年目の記念日のことも。

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